|
不幸と同等の幸福の種子 |
『チャンスというものは、多くの場合、
辛い経験に、姿を変えてやってくる
だから殆どの人は、それと気づかない』
−アン・ランダーズ(アメリカのジャーナリスト)− |
|
すべての逆境、失敗、不幸な経験はいずれも不運にみえるが、実際には幸福になりえる。なぜなら、それらには不運と同程度の幸福の種子が内包されているからである。
失敗と挫折。この二つは、すべての人間を謙虚にし、理解力と知恵を身につけさせるために自然が与える試練なのだ。
不運にはそれと同程度の幸運の種子が内包されていることを発見すれば、それをもとに成功の基礎を築くことができるのだ。
ここに、人生の謎を解く重大な事実が二つある。
1)何らかの不運が、すべての人にいつか必ず襲いかかる
2)不運には、それと同程度の幸福の種子が必ず内包されている
自分が苦しんでいるときに、その不運と同程度の幸福の種子が内包されていることを認識せよ。と言われても、それは困難なことかもしれない。
しかし時間はどのような傷も癒してくれる。傷が癒せれば、幸福の種子を真剣に探し求める者は、必ずそれを見つけ出すことができるだろう。
−ナポレオン・ヒル「私たちは成功者に何を学ぶべきか」より−
「何にせよ失ったものがあれば、その代わりに必ず得るものがある。」
他の人たちが成功へのちょっとした機会を与えてくれることがあるが、そういうときに我々は自分の能力を信じ、目的に向かって前進しつづけていなければならない。
落下傘部隊の軍曹であったハロルド・ラッセルは、事故で両手を失い、挫折感と敗北感に打ちのめされた。両手のない人生が恐ろしかったのだ。生きようと死のうと、どうでもよくなっていた。
そういったある日、やはり両手をなくした兵士が病院のラッセルを訪れて、最初に超えるべき障害は自分自身だと説き、エマソンの言葉を引用したのである。
これ以来、手を失ったことが転機となった。彼はベストセラー作家になり、幼なじみの恋人と結婚し、世の男性の多くが夢見る成功を手にしたのである。 −ジョージ・シン
「やる気を起こせ」より−
災難・不幸には必ずそれ以上の利益の種子が隠されている。
辛い経験ばかりが、たて続けに続いている時の疲れや悩み、それらは、多くのチャンスとめぐり合っています。
しかし、それらに、気づかない人への警告とも受け取れますね。
ジョージ・シン先生によると、失ってもその代わりに得るものがある。と説いています。つまり得ることのほうに目を向けなさい。
すなわちポジティブな捉え方になるのだと思います。
実際このことを強く心にとめておくと、試練が起こることが不思議に楽しみに思えてくるものでしょう。このことを完全に実践できる人は、もはや試練や不幸などは人生に存在しないのかも知れません。
すごく奥が深いですね。
|
|
|
|